山奥にでっかい赤煉瓦の発電所がありました [廃墟&近代化遺産]
和歌山県日高川町
県道26号線から県道196号線で紀伊半島の山に向かって
走っていると見えて来る
大きな赤煉瓦の発電所は
高津尾発電所の建物です。
日高川沿いの水力発電所で
山の斜面にはでっかい導水管が通っています。
山の中腹にある
溜池のような尾曽ダムから
この導水管で水を引いて発電します。
大規模水力発電所のような
大きなパイプですよ
現在は新しい建屋の方で
発電してるため
導水管も比較的新しい物に変えられてるみたいだが
旧建屋の方はかなり歴史を感じる建物です。
1918年(大正7年)に
旧和歌山水力電気が建てた発電所で
その後、いくつかの会社を経て現在は関西電力の管轄となっています。
しかし建物の片面には
最初の和歌山水力電気の社章が
残されていてオリジナルのままとなっております。
(反対側は現在の関電の社章です)
大まかに2階建てな感じだけど
建物の半分で階の高さが違うのは
内部の装置などに必要なスペースを
考えて建てた結果でしょう。
現在は併設された新しい建屋で
発電していますがイギリス積みの美しい
発電所はこのまま残しておいてね。
その発電所の端っこに
誰も気付かないんじゃ?って言う程度の
お勉強スペースがありました。
水車と言うか
タービンの形でかなり発電効率が変わるんだね。
結構「ヘェ~」ってなる説明版だったよ。
その説明版の前には
実際に使っていた設備が展示されています。
↑ 車の後部に装着してみたいジェット噴射口や
挟まると怪我をする秘密結社の入口の回転ドア ↓
それと巨大ツインターボエンジン用
タービン ↓
これであなたの車のパワーは
300倍。
そんな楽しい妄想をしてしまう
近代化遺産「高津尾発電所」でした。
山深い紀州の山中にこつ然と出現する
赤煉瓦の芸術はココ
蔵王の麓で見つけた丸い奴 [廃墟&近代化遺産]
黒沢尻用水路土地改良区
なにも変哲も無い水田の横に
久し振りに登場する
丸い奴
宮城県蔵王町にある
疣岩分水工
大正初期に干ばつから
大工事の末、昭和6年に完成した
分水工です。
干ばつや鉱毒水に悩んでいたこの地区は
松川から水を引くことにし
遠刈田・曲竹発電所から出た水を
川の下を通してこの場所に出す大規模な工事を行った。
松川から水を引くに当たって元から利水権を持っていた
松川の組合との折り合いの結果から
この分水工が生まれたようです。
こうして
離れて眺めると農家が命乞いするような
思いの末誕生したとは思えないほど
地味な外観である。
でも、覗くとそこには
美しい命の水が溢れている。
枯れることなんて無いと思わせるほど
コンコンとサイフォンの原理で川の水が出ております。
仕切りによって分配された水は
決まった量が
各方向に向かって流れ出るシステムとなっております。
こうして東北の米どころの田んぼは
潤されていくのでありました。
良い物見たね。
では最後に正しい円形分水の覗き方をどうぞ ↓
腕力いるぞ。
遠く知らない町で見つけた丸い奴は
僕を笑顔にしてくれた。
生活に欠かせない水を求めた
人々の結晶はココ
はいき駅の鉄道遺産 [廃墟&近代化遺産]
「早岐駅」と書いて「はいき駅」と読みます。
ここはJR佐世保線と大村線の分岐駅で
その昔は機関区として機能していました。
明治30年(1897年)に長崎県初の駅として開業し
昭和47年に機関庫は閉鎖されるのですが
その名残が今でも残っています。
「給水塔」
今では必要ないけど
蒸気機関車が走っていた頃は
この設備がないと機関車は走れなかったんだよな。
その遺構が早岐駅の端っこにしっかり
残っていてくれていました。
たぶん残ってるこの赤煉瓦の部分は給水塔の土台で
本来ならこの上に水を貯めるタンクが設置されていたものと
推測されます。
中を覗くと
上部のタンクに水を供給(若しくは出す?)用の
パイプが残されています。
軽く物置にされてることは見なかった事にして
上を見ると古城の牢獄に入れられたような
風景が見れます。
(入れられた事無いケロ)
真下から覗けば
当然ですが丸い空が見えます。
明治のハンドルにもペタペタ
触っておきましょう。
錆びてるけどメッキなどをしてない事を考えると
今の鉄より耐久性が良さそうな気がするよ。
給水塔の外に目をやると
機関区で従事していた有志の方々により
記念碑が建てられています。
九州の西の物流の拠点だったのでしょうね。
現在は佐世保鉄道事業部の敷地内になっていますが
この記念碑と給水塔は見れるようになっているので
ありがたく拝んでまいりました。
見上げれば丸い空が見える煉瓦の給水塔は
石炭と共に経済を動かす動力を生み出していた。
ぽっかり開いた空を見上れば丸い空が見えました。
駅の端っこに忘れられたようにたたずむ
煉瓦の近代化遺産はココ